光線療法の歴史

光線治療器の歴史としてはカーボンアーク光線治療器が最も歴史と実績のある光線治療器です。

カーボンアーク灯の発明と光線治療

光線治療器の歴史としてはカーボンアーク光線治療器が最も歴史と実績のある光線治療器です。

1903年にデンマークのニールズフィンゼン博士が 現在の治療器の原型であるカーボンアーク灯を創案し、ノーベル生理医学賞を受賞しました。 日本では、明治41年に東大の初代教授である土肥博士によって東大皮膚科で使用されました。 その後、東京光線療法研究所の宇都宮義真博士の研究に基づき、昭和7年に国産初のカーボンアーク灯が、イビデン株式会社(一部上場企業)の協力によって開発されました。しかし、機器の構造上取り扱いが容易でなかったため、その使用は一部の大学病院や専門家に溜まっていました。 近年、コンピーター制御の開発によって誰もが簡単に使用できるようになり、現在では、さまざまな分野で注目を集めています。

紀元前2000年前後の古代

人類は、太古の時代から太陽を神と崇め、また病気の治療手段として太陽光を利用していました。

まだ人知の開けていなかった古代社会において、既に人々は太陽光線には健康になる保健作用や病気を治す治療効果があることを、理論がなくとも実際の効果で知り、それを何より重んじていました。

エジプト人は太陽神「ラー」を信仰し、日光療法を国中で行いました。王は「ファラオ」と呼ばれますが、これは「太陽の子」という意味です。 ・古代ギリシャのオリンピックは、日光の下で裸で競われました。 インドでは、ソラーレン(光感作物質)を使って白斑の治療を行います。これは現在のPUVA療法です。・古代ローマでは、浴場に必ず日光浴室を作りました。また「太陽は最善の薬である」「太陽の来ない家には医者が来る」という諺があります。 ペルシャでは太陽を崇拝するゾロアスター教が全土に広がり、日曜日をSundayと呼びました。太陽「Sun」が日曜日の語源となっているのです。・ 医学の祖ヒポクラテスは、日光療法を本格的に治療に取り入れた健康大寺院をギリシャのコス島に建立。・ 日本では、太陽を「大日如来」または「お天道様」と呼んで信仰の対象にしました。また、人は日の神「天照大神」の子孫と信じられ、男は日子「彦」、女は日女「姫」と呼びました。

太陽を治療目的に応用した日光療法

医学史の上では、医学の祖とされているヒポクラテス(紀元460年生まれ)が本格的な日光療法を始めました。その後、科学的、医学的根拠が与えられ、日光療法は世界中に広がりました。

18世紀後半から19世紀にかけて、日光療法は近代的な発達をとげ、それまで経験的に行われていた日光療法が、統計的、科学的に検討されるようになり、世界各地に日光療法所が建設されました。日本にも数多くの治療所が建設されました。

日光療法の歴史

人工光源の発明

人工光源の研究は、エジソンが1880年に電球を発明したのが始まりです。しかし、電球は太陽光線にある不可視光線(紫外線、赤外線)を放射しないため、光線療法の光源にはなり得ませんでした。その一方で日光療法の真価が認められ、太陽光線と同一の光線を再現する人工光源の要求が高まってきました。

1893年に、デンマークのニールスフィンゼンが世界で初めて太陽光線と同じ連続スペクトルを強力に放射するカーボンアーク灯を考案ました。 彼は、それまで不治の病とされていた尋常性狼瘡を専門的に扱う病院を開院し、光線療法を用いて予期した通りの治療結果を収めました。 この功績によりフィンゼンは、1903年にノーベル医学生理学賞を授与されました。

1938年に、ドイツのアドルフウィンダスが紫外線によって皮膚下で光合成されるビタミンD3の化学式を解き、この功績によりノーベル化学賞を受賞しました。 以後、フィンゼン灯の改良型が世界中に広がりました。

治療風景など

日本での光線治療法と光線治療器の開発

日本では、明治41年に東大皮膚科の土肥慶造博士により使用されました。その後全国に広がり、当時の病院で科目に関わらず、さまざまな病気の治療に使用されました。 当時の医療は、現在の対症療法的考えは少なく、病気を身体全体として捕らえる治療法でした。そのため専門の光線療法病院も数多く建設され病気を治す効果的な手段として幅広く活用されました。 当初の機器は欧米からの輸入品でしたが、後に東京光線療法研究所の宇都宮義真博士の研究と、現在の一部上場技術会社であるイビデン株式会社(当時のイビガワ電工)の技術協力によって、昭和7年、日本初の国産カーボンアーク灯が開発されました。

第二次世界大戦後、日本の医療制度が大きく変わり、西洋医学主体の薬物療法、対症療法が治療の主体となり、病気を身体全体として捕らえる光線療法は、物理療法として区分され、医師から民間に委ねられるようになりました。同時期に日本古来の治療法である【あんま、針、灸】については、人に危害を加える恐れがあるため、あはき法ができて、国家資格制度となりました。光線療法はこれに属しません。

国産初の昭和7年の生産から、数多くの技術改良を加え、また現代医療の進歩に伴い光線療法は、より一層の医学的根拠や科学的根拠が世界中から認められています。 欧米を始め、薬物療法、対症療法などの現代医療の反省と共に、治療の本質である、病気を身体全体として捕らえる治療法(ヒポクラテスに帰れ!)が注目を集める中、これにそう光線療法は、代替医療として現在大きな注目を集めております。 現在では、一般社団法人 日本光線療法協会が中心となり、光線療法を一つの治療法として推奨し、普及活動をしております。

光線治療器の歴史